午前九時

 

いちねんが経ったらしい。

日報をメールで送る時にパソコンの右下で日付を確認して気づいた。
早かったのか遅かったのかわからない。でも時は流れ、こうして今日はやってきた。もうともやっととも思う。このいちねんなにもしていなかった気もするし、それでも実りはあった気もする。痛みとか憎しみとか愛情とか、感情と切り離して文章にできるようになった頃には、もうその時のことを詳細には思い出せない。

用意されたガウンは、たしかピンクだった。不必要に、わたしが女だからですかと思ったから覚えている。スポンジが膨らむ間、ひたすらたこ焼きを作る動画を見ていた。もう何年も食べていなかった。急に食べたくなった。秘訣は天かすです。くるくる。店長を任されていました。くるくる。どの動画でもお店で食べるようなと謳っていた。ホロタチェーンで売っているべちょべちょのやつが恋しくなった。麻酔の関係で前日夜から絶食していたのでお腹がすいていた。その頃はアイスばかり食べていた。固形物は気をつけないと戻してしまった。冷凍食品は保存料が使われていないと聞いて冷凍肉団子を大量に買い込んだ。あんなに好きだった山芋焼きが匂いで食べられなかった時は驚いた。膨らんだ。台の横にはその日受ける人の順番と名前年齢なんかが書かれたボードがあった。四人くらいいる中、わたし以外の人たちの列には迎えナシと書かれている。わたしは恵まれていることを自覚した。費用は相手が持ってくれた。当日は仕事を休んで送り迎えもしてくれた。そのことを、ありがたいと思わなければいけないのだ。ありがたいと思わなければいけない国なのだ、まだ。それも逮捕される国に比べたらマシなのかもしれなかった。

局部麻酔の時とは違って、レーサーみたいな夢は見なかった。でも、なにかを見た気はする。覚えていない。気づいたらなにもかも終わっていて、看護師さんが大丈夫だからもうすこし寝てようか、と言っていた。麻酔が切れる直前、大きな声を出していたらしかった。バウムクーヘンカップケーキかなにかを水分と一緒に渡してくれた。終わったあとのエコーでは泡ははじけてしまっていた。十万円払って泡をはじいてくださいとわたしが頼んでいた。抗生物質をもらって、明後日また来てくださいと言われた。次の日銀だこに行った。おいしかった。その翌日が彼を彼として見た最後の日になる。
体質が変わった。汗をかくようになった。PMSが重くなった。というかいままでが軽く済みすぎていた。一時期天災が異常に怖い時期があった。毎分毎秒地震と噴火に怯えていた。同時期に顔面麻痺になった。二週間くらい左半分動かすと痛かった。PTSDの中でもPAS(PASS)と呼ばれるらしい。男女の営みがむずかしくなった。このことがわたしを次の恋愛から遠ざけ臆病にさせた。新しい恋愛をしたら彼を切り離せるだろうと思っても、与えられないこととそれをどう伝えたらいいのか伝えてもいいのかわからず躊躇してしまった。わたしが好きになる人はやさしい人に決まっているので、好きになった人にはできるだけ荷物を背負わせたくなかった。女の子に興味を持った。いまのタイミングで舵をきるのは失礼にあたる気がした。誠実でないことはわたしをつらくする。時間が経ったらよくなるものかはわからない。向き合ってくれようとした人には、あなたと一緒にいてもさみしいだけですと言われた。子ども連れを見るとつらい時期は過ぎた。憧れがなくなればつらくなくなるものだと知った。

感情をできるだけ切り抜いて文字にしている。

ちょうど同じようなときに芸人のスキャンダルが出ていた。もう炎上というには火力が弱い芸能人ネットニュースのなか、こんなことで才能が潰れてほしくないという意見を見た。わたしも、そう思った。薬に関する運動を見た。国が言う安全性と認可がおりないとか高すぎるとかの意見が戦っていた。年末に出たわかる本というタイトルの本を読んだ。権利を勝ち取っていく歴史やそれでも続いている問題について書かれていた。読み進めていくと、爽快な気持ちだったという人たちのインタビューが載っていた。情熱のあまりつけ忘れてしまいと権利を求める文章を読んで、その軽さに対しても違和感を持った。『17歳の瞳に映る世界』という映画を見た。アメリカの方がカウンセリングが手厚いなと思ったけれど危険が近いせいかもしれなかった。手術が終わったところでエンドロールが流れた。どこにも、その後の生活について描かれていなかった。その人たちがどうやって人を許し愛していくのかわからなかった。そこを教えてほしかった。そういう作品が見たかった。晴れやかにいられる人との違いは被害性なのだろうかと考えた。

女じゃないですという顔をしていても、髪が短くても、いくらおっぱいがなくても、恋愛をしていなくても、生殖能力がある限り性別に抵抗するのはむずかしいという結論になった。これに関して、もう感情がない。逃げたあとたのしそうにお笑いをやっている彼を見て、答えだと思った。わたしが告発できないことを、女であることを、彼は無意識にかわかっている。一度好きになった相手の不満を口にする、そういう人間だと思われるのがやだった。やだったから表ではできるだけヘラヘラした、できていない時もあった。でもこれもきっと、彼はわかっていた。

ほんとうはいろんな人に話をしたかった。変に笑って話してしまう。変に笑った話を聞いてくれてありがとう。男の人の気持ちも知りたかった。世間に言わされている意見じゃなくて、わたしと仲がいいからじゃなくて、いろんな人の。女の子の気持ちも知りたかった。この質問は不適切だとわかっているけど、あなたならどういう行動をとったのか聞きたかった。みかこの話がしたかった。みかこのことをふつうにいろんな人に話している彼の、その話を聞いた時のみんなの返しや感情を知りたかった。男の人たちの間では武勇伝になるのかもしれないと思った。逃げる、について話したかった。母と話したかった。彼とちゃんと話したかった。彼とちゃんと話したかったことを誰かに話したかった。起こる前のことではなく起こった後の話がしたかった。反省はひとりでできる。でもそれが、そういったことを相手に話すこと自体が相手のことを考えない行為であることをわかっている。だから創作物に昇華する。なるべく話さないでいられるように。家族から友達にも誰にも言うなと言われているのに、曲まで出してしまった。

この文章を、わたしはいつも書いているブログに載せられなかった。